中世のスコットランドで、魔女狩りにより処刑された人々の位置を示す地図が制作される
“魔女狩り”とは、魔女の疑いをかけられた被疑者に対する処刑を含む一連の迫害を指す言葉で、16世紀後半から17世紀のヨーロッパで横行した。その中でもスコットランドでは、比較的長きにおいて魔女狩りが行われていたとされる。
そんなスコットランドにおいて、魔女狩りの犠牲となった人々を辿る“地図”が制作され、注目を集めている。
“魔女狩りマップ”とは一体?
この“魔女狩りマップ”を制作したのは、英国エディンバラ大学の研究者ら。
同大学では2003年に、『Survey of Scottish Witchcraft(スコットランドの魔術調査)』と名付けられた調査プロジェクトが行われており、今回制作されたマップはそれに基づくもの。
これにおいては16世紀から17世紀においてスコットランドで横行した魔女狩りについて、“魔女(男性をも含む)”とされた被疑者の当時の居住地から勾留地、さらには裁判とその処刑地など、3141件もの事例が記されている。
「スコットランドにおいて魔女であることを理由に告発された女性たちについては、人々に伝えるために十分なことがなされていない、というとても強い思いがあります」
研究に携わったエディンバラ大学の研究者Ewan McAndrew氏は、マップの制作理由についてこう語る。
スコットランドでは、ヨーロッパで魔女狩りが盛んに行われる中でも、その平均の4~5倍にも及ぶ人数が魔女の疑いをかけられ、さらにその中の最大3分の2ほどが処刑されているという。
そのためMcAndrew氏はマップに記された場所が、スコットランドにおいては“誰にとって身近”であるとしている。
“魔女狩りマップ”で示された“魔女”のストーリーとは?
それではマップに示された“魔女”とされた者たちには、一体どのようなストーリーがあるのだろうか。
1629年、絞殺された上、火あぶりに処されたスコットランド人の女性、Isobel Young もマップに掲載された“魔女”としての疑いをかけられた者の一人。Isobel Young は、エディンバラ東部に位置する小さな村の小作人の妻であったという。
近隣住民や親戚は、彼女について言動が時に攻撃的になることがあり、さらに“奇妙な魔術的特質”があったとしている。
その“奇妙な魔術的特質”の中には、彼女の飼う雄牛のうち2匹が言葉を話すことが出来る、と召使が証言したというものまである。
しかし彼女の処刑を決定的にしたのは、夫のGeorge SmithがIsobel Young と口論になった末、魔術によって殺されそうになった、と証言したことだ。
その結果45人にも上る証人が、Isobel Youngを告発。裁判の後有罪となった彼女は、魔女としての汚名を着せられ処刑されることとなったようだ。
また、こんな事例もある。
Agnes Sampsouneも、マップに登場する“魔女”の一人。
スコットランドの港町ノース・バーウィックで、医師や助産師として働いていた彼女は、1590年に悪名高き魔女裁判「ノース・バーウィック魔女裁判」にかけられることとなる。
この裁判においては、新婚旅行中のスコットランド王ジェームズ6世と王妃アン・オブ・デンマークを溺死させるため嵐を起こしたとして、総勢70名以上もの人が“魔女”の疑いをかけられている。
そんな中で自白を拒んだAgnes Sampsouneは、激しい拷問にかけられた後自らの罪を認め、結果的に絞殺され火あぶりに処されている。
スコットランドで“魔女狩り”が横行した理由とは?
しかしなぜスコットランドにおいては、ヨーロッパにおいても突出した数の“魔女狩り”が行われることになったのだろうか。
これには、どうやらスコットランドの歴史が関係しているようだ。
スコットランドにおける“魔女狩り”の横行は、1563年から始まることとなった。
一方宗教改革がスコットランドにも波及する中、同国では1560年、ローマ・カトリック教会に対抗する改革派が公式に認められている。
その新たな信仰を受け入れるよう国民に促す中、悪魔の力を呼び出すことの出来る魔女に対しては、国王自らが“魔女狩り”によって取り締まることを推奨していたとされる。
16・17世紀に最盛期を誇った“魔女狩り”にまつわるストーリーを、現代に蘇らせることとなった“魔女狩りマップ”。
マップを通し、“魔女”の汚名を着せられ無実の罪で処刑された人がこれほどまでに多くいたことを知れば、きっと考えさせられるものがあるのではないだろうか。(了)
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